今書いている詩(1416)「ハナテョ ハヤセョ」
今書いている詩(1416)「ハナテョ ハヤセョ」
照日 雲日
笑日 泣日
老いて
思い出に
頼る日
もう直ぐ
迎えの日が
上のか
下るのか
風が
吹くのかなぁ
思い出の
池が
凍りつく
枯れて
魚影も
弁天様も
空へ
水源地に
雨が降る
届かない
思い出の
言霊を
放つ
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今書いている詩(1416)「ハナテョ ハヤセョ」
照日 雲日
笑日 泣日
老いて
思い出に
頼る日
もう直ぐ
迎えの日が
上のか
下るのか
風が
吹くのかなぁ
思い出の
池が
凍りつく
枯れて
魚影も
弁天様も
空へ
水源地に
雨が降る
届かない
思い出の
言霊を
放つ
今書いている詩(1404)「水・water」
灌ぐ 溜まる
満ちる 溢れる
枯れる
命の水が
人も 貴女も
幸せを 希望を
未来を 平和を
求める
愛も 身体も
欲望も お金も
神も 仏も
足りて 余る
産まれる 死に往く
壊れる 再生する
運命は 定めは
宿命は 何処に
あるか
創造主の 宇宙も
ブラックホールに
消える 圧縮される
輪廻も
リサイクル
されない
終わりから
始まる
詩を 人生を
演じる
白紙の台本と
台詞
私の髪が
伸びる
貴女の髪も
伸びる
(髪は神なり)
今書いている詩(1403)「ツキ(月)」
私には
ツキ(月)が
ある
天の月と
貴女の
ツキが
側にいて
くれる
悲しくても
楽しくても
翳らない
月が
三日月から
半月に
満月変わる
運の尽きが
終わりでは
ナイ
愛し
愛され
月光の下を
歩む
長い
短い
貴女と
私の
影
再び
寄り添う
輪廻の
先が
ある
今書いている詩(1401)「二天一流」
貴女と私の
二天
二人の
生活と娘が
一流
空に
天あり
昼の日輪の
夜の月輪
陽と隠
人生は
光と闇
織りなす
世界
登る
沈む
あの空へ
私と
貴女
その時
土産を
持つ
日々
活きる
唄う
踊る
天の岩戸を
叩く
女神さまへ
微笑の
プレゼントを
両手に
今書いている詩(1400)「からんころん」
三日前の
お風呂前に
突然浮かんだ
インスピレーションの
音が「からんころん」
モシカシテ
お露さんの下駄の音
検索すると
「牡丹燈籠でお露お米さん
主従が新三郎の所へ
提灯を掲げて通う時の
下駄の音が
からんころん からんころん」
幽霊でも
現世の美女に
取り憑かれて
死んでも
老人の私は
イイかなぁ〜
デモ、幽霊は脚がない筈
其れでも下駄の音?
新三郎さんの姓は
八王子千人同心頭の
萩原家と関係がある様ですねぇ?
現代のカランコロンは
こうなるみたい
「カランは
水道の蛇口
蛇口から流れる水は
身体を
洗う浄めて呉れる
なぁ〜
コロンマークは( : )
説明定義、列記のコロン
英語の同格」
あぁ難しいなぁ〜
カラコンは
目のコンタクト
瞳が変えられる
青い瞳は
神秘的だぁ
ロシア女性に
憧れる
奇人変人の老人
娘は
コンタクトレンズ
職業柄で
メガネが
ダメらしい
化粧品メーカー勤務
チンチロリンも有るがネェ
チンチロリンは、日本の大衆的な博戯(賭博・ゲーム)の一種である。数人程度(理論上は2人以上何人でも)が通常は車座になって、サイコロ3個と丼(ないし茶碗)を用いて行う。名称はサイコロが丼に投じられたときに生じる音を擬したもので、「チンチロ」と省略されることや「チンコロ」と呼ばれることもある。(ウキペディア)
牡丹灯籠(ぼたん どうろう)、怪談牡丹灯籠は、明治の三遊亭圓朝25歳の時の作品。落語の怪談噺。
江戸時代末期の1861~1864年頃、浅井了意による怪奇物語集『御伽婢子』、深川の米問屋に伝わる怪談、牛込の旗本家で聞いた実話などに着想を得て創作された[1]。速記本が1884年(明治17年)に刊行されている。(ウキペディア)
今書いている詩(1) 「すくう」
「すくう」
池の辺に立った弥陀は
水を漉くってハスに注いだ
後ろの観音に
「私には誓願があるよ」と囁く
観音は微笑んで頷く
池の其処此処で
ハスの花がポンと
音を発てて咲いた
たろうくんは池の氷を
小さな手で割って顔を洗う
寒い日も暑い日も
前に住む神主の一家は
たろうくんが足を踏み外さないように
いつも見守っているが
気が気でない
両手で水を漉くってごらん
零れるよね
頬に手を当てごらん
潤うよ
あなたには潤いが
必要だが
求め過ぎてもいけないよ
大雨が降ると
池の水は溢れて
せせらぎとなって
村を通り川に注ぐ
池の魚も川に辿り着く
たろうくんは大人になって
池は慈根寺という古刹の跡で
本尊が阿弥陀如来であると知る
赤子は場所と父母を
選んで生まれるという
あなたと太郎君の
知りたいその答えは
智慧の壺の中ですよ
(確か9年前に書いた詩ですネェ⁉️巡り巡って元の様な詩を書いています❣️書かされて居るのだと今は、確信を持っていますヨォ‼️)
当時は、画像を添えていませんのでお借りしました。Yahooブログに投稿をしていましたが、今年限りで終わりですネェ。寂しいですヨォ‼️
今書いている詩(1399)「合わせる」
手を合わせる
心を重ねる
唇も併せたい
身体も繋げたい
祈りを重ねる
手を心に
そっと
合わせる
重なり合った
手と手から
私の魂へと
繋がる
心の奥
その奥の
神仏へと
結縁される
私の父母から
祖父母
曽祖父母へ
ずーと遡る
それが
「神から神へ 神から人へ 人から人へ
人から私へ 私からあなたへ 孫たちへ」
繋がる 糸(意識・意図)なのですヨォ
優しく合わせた
手よりも
合掌した祈りは
渾身の祈りを
神仏へと
伝えたい
最後の
手立てに
ネェ
手をかざす
放射された
愛のオーラが
貴女へ
伝われば
貴女の
世界が
廻り始める
変わる
嬉しいなぁ
ほらネェ
彼処で
神仏も
微笑んで
居られる
からぁ〜
(画像はお借り致しました)
今書いている詩(1398)「歳・歳月(年齢)」
何処かで
貴女が
出逢う人は
偶然じゃナイ
貴女は
理解できない
かも知れないネェ
霊能者
運命鑑定士
神主
僧侶
詩人は
何れにも
当て嵌まらない
と思うネェ
デモ
貴女と
出逢ったら
心の中まで
思い定めて
詩にする
職業ではナィが
郷土史家でもあるから
過去の貴女との
出逢いを
遡る
次の世にも
出逢える
ネェとの
輪廻を
信じている
幼児と老人は
神さまに
通じている
ダカラ
神さまも
私も
貴女を
観ている
出逢った場所に
共にいる
ヨォ
(また逢いたいなぁ いつの日にか 彼岸花咲く日にネェ)
今書いている詩(1397)「出羽橋(出逢い橋)」
保育園から孫たちを連れて
帰るともう暗くなる
秋の日は釣瓶落としダァ
車を近くの駐車場に置き
道路近くに妻と孫がいた
手を挙げる
ジィージィーと行く
何処へ行くのと聞いても
意味不明な返事
城山川へ向かう
寒くなっているので
蚊も近寄らない
枯れかけた
猫じゃらしを抜く
小さいのは孫
黒い長い穂は
ジィージィ
大きいお兄ちゃん
猫じゃらしを抜くのが
大好きだったなぁ
学校から帰って
ソファの上で
ゲームに夢中かぁ
チィニィニィも
ゲーム
手を繋いで歩く
「抱っこで行く⁉︎」
と聞くが
ジィージィの手を
強く握って
歩く
橋の下流に鴨は
イナイから
抱っこして道路を
横切ろうかなぁ
デモ 危ないから
辞め
信号機の交差点を
迂回
城山手のバスの折り返し場に
バスのストップ
孫と渡る
信号機が青に変わる
バスが出て行く
欄干から覗き込む
鴨が
三羽かなぁ
落ち着いて観る
四羽でした
慌てて
スマホを向ける
孫は欄干の隙間から
見ている
「よく見えるカィ」
抱っこをしたィが
隙間から見えるから
イイヨォらしい
写真と動画を撮る
暗い森が繋がる
道路を横切る
孫はもう一度行こうと
手を引く
橋の上から何かを投げている
老人に
「向こうに鴨が居ますよ」
「此処から 餌を撒いているんですヨォ」
鴨は水草を食べている
孫に
「暗いから帰ろうなぁ」
迎えの妻
二組の鴨の夫婦
一組はオシドリの娘夫婦
もう一組は老夫婦かぁ
奇人変人の老夫婦は
オシドリと言えるかなぁ